江戸時代、幕府が定めた五街道の起点としてここから全国へ街道がのびていた。
もとはアーチ状の木造の橋であったのが、明治にはいってルネッサンス調の石橋へと造りかえられ、青銅の龍の下にあるプレートに刻まれた「日本橋」の文字は最後の将軍、徳川慶喜の筆によるものだそうだ。ちなみに、1999年には国の重要文化財に指定されている。
問題は、この日本橋のまうえに首都高がはしっていること。
景観もへったくれもない。
足し算が本当の意味でわかってない人が造ったとしか思えないお粗末な合流など、首都高には文句がたくさんあるが、それはひとまず措く。
日本橋の景色は、昔の交通網の象徴が現代の交通網に踏みつけられてるように見える。
おとなりの韓国のソウルでは、暗渠になって道路が敷かれている川を、もとに戻す作業が進められている。
車線が減るわけだし、それに伴う工事のためもの凄い渋滞が発生しているが、市民は川の眺めを選択し、公共の交通網を充実させて対応していくそうだ。
日本橋を見ると、日本がなにをなおざりにしてきたのかよくわかる。