お魚
海の魚はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼われてる、
鯉もお池で麩を貰う。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる。
ほんとに魚はかわいそう。
(『金子みすゞ童謡集』ハルキ文庫より。以下同じ)
幼稚園の卒業文集に親が子供との出来事を書くページがあった。
私の母はそのページにこんな会話を載せている。
子「おかあさん、お魚やさんてやだね。」
母「あら、どうして?」
子「お魚をとってきてころしてたべちゃうから。」
母「そぅお?じゃあなにやさんがいいの?」
子(即座に)「おかしやさんがいい!なにもころさないから。」
母(ムムム…)
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。
漁船が網を上げて沢山の魚が獲れている様子をテレビで見る。市場なんかで様々な種類の魚たちが並べられている。並べられているのが魚ではなく人間だったら尋常な感覚ではいられないだろうなとか、戦争の現場なら似たような光景があるのだろうとか考える。また、魚から見れば大量虐殺の現場だな、とも。
生きものはなにかを殺して食べなければ生きていけない。食物連鎖があり、食べ食べられる関係がバランスをとっているからこそ、すべての生きものがある。
殺す心を殺せ」といった人がいるが、そこがポイントなのかもしれない。宮澤賢治は「かわいそうだから」と肉を食べなかったらしい。
楽しみのための猟や釣りは好きになれない。釣りは確かにけっこう面白いものだ。でも、キャッチアンドリリースをしても、針で傷つけられた魚はかなり弱り、岩陰で傷が癒えるのをじっと待っている、という話を聞いたら、楽しみのための釣りは嫌だと思うようになった。
牛肉も豚肉も鶏肉も、魚の切り身も、そもそもそういうモノはない。発泡スチロールのトレーにのった商品からは、命ある姿をなかなか想像しないものだけれど、生かしてくれてありがとう、と一瞬でも思って食べるようにしよう。
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くははしれない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄はしらないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
桜梅桃李。それぞれちがいがあるから、それぞれに意味がでてくる。
最近、あるイラストレーターの方の話を聞く機会があった。個性、個性というが、個性なんてものは誰にもあり、表現しようとすれば出てしまうもの。それよりも、なにをどう感じとるかの感性の方が大切だ。そう語られていた。
海の魚はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼われてる、
鯉もお池で麩を貰う。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる。
ほんとに魚はかわいそう。
(『金子みすゞ童謡集』ハルキ文庫より。以下同じ)
幼稚園の卒業文集に親が子供との出来事を書くページがあった。
私の母はそのページにこんな会話を載せている。
子「おかあさん、お魚やさんてやだね。」
母「あら、どうして?」
子「お魚をとってきてころしてたべちゃうから。」
母「そぅお?じゃあなにやさんがいいの?」
子(即座に)「おかしやさんがいい!なにもころさないから。」
母(ムムム…)
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。
漁船が網を上げて沢山の魚が獲れている様子をテレビで見る。市場なんかで様々な種類の魚たちが並べられている。並べられているのが魚ではなく人間だったら尋常な感覚ではいられないだろうなとか、戦争の現場なら似たような光景があるのだろうとか考える。また、魚から見れば大量虐殺の現場だな、とも。
生きものはなにかを殺して食べなければ生きていけない。食物連鎖があり、食べ食べられる関係がバランスをとっているからこそ、すべての生きものがある。
殺す心を殺せ」といった人がいるが、そこがポイントなのかもしれない。宮澤賢治は「かわいそうだから」と肉を食べなかったらしい。
楽しみのための猟や釣りは好きになれない。釣りは確かにけっこう面白いものだ。でも、キャッチアンドリリースをしても、針で傷つけられた魚はかなり弱り、岩陰で傷が癒えるのをじっと待っている、という話を聞いたら、楽しみのための釣りは嫌だと思うようになった。
牛肉も豚肉も鶏肉も、魚の切り身も、そもそもそういうモノはない。発泡スチロールのトレーにのった商品からは、命ある姿をなかなか想像しないものだけれど、生かしてくれてありがとう、と一瞬でも思って食べるようにしよう。
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くははしれない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄はしらないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
桜梅桃李。それぞれちがいがあるから、それぞれに意味がでてくる。
最近、あるイラストレーターの方の話を聞く機会があった。個性、個性というが、個性なんてものは誰にもあり、表現しようとすれば出てしまうもの。それよりも、なにをどう感じとるかの感性の方が大切だ。そう語られていた。