2003年11月

みんなちがって、みんないい。

    お魚

  海の魚はかわいそう。

  お米は人につくられる、
  牛は牧場で飼われてる、
  鯉もお池で麩を貰う。

  けれども海のお魚は
  なんにも世話にならないし
  いたずら一つしないのに
  こうして私に食べられる。

  ほんとに魚はかわいそう。

   (『金子みすゞ童謡集』ハルキ文庫より。以下同じ)

 
 幼稚園の卒業文集に親が子供との出来事を書くページがあった。
 私の母はそのページにこんな会話を載せている。

 子「おかあさん、お魚やさんてやだね。」
 母「あら、どうして?」
 子「お魚をとってきてころしてたべちゃうから。」
 母「そぅお?じゃあなにやさんがいいの?」
 子(即座に)「おかしやさんがいい!なにもころさないから。」
 母(ムムム…)


    大漁

  朝焼小焼だ
  大漁だ
  大羽鰯の
  大漁だ。

  浜は祭りの
  ようだけど
  海のなかでは
  何万の
  鰯のとむらい
  するだろう。


 漁船が網を上げて沢山の魚が獲れている様子をテレビで見る。市場なんかで様々な種類の魚たちが並べられている。並べられているのが魚ではなく人間だったら尋常な感覚ではいられないだろうなとか、戦争の現場なら似たような光景があるのだろうとか考える。また、魚から見れば大量虐殺の現場だな、とも。

 生きものはなにかを殺して食べなければ生きていけない。食物連鎖があり、食べ食べられる関係がバランスをとっているからこそ、すべての生きものがある。

 殺す心を殺せ」といった人がいるが、そこがポイントなのかもしれない。宮澤賢治は「かわいそうだから」と肉を食べなかったらしい。

 楽しみのための猟や釣りは好きになれない。釣りは確かにけっこう面白いものだ。でも、キャッチアンドリリースをしても、針で傷つけられた魚はかなり弱り、岩陰で傷が癒えるのをじっと待っている、という話を聞いたら、楽しみのための釣りは嫌だと思うようになった。

 牛肉も豚肉も鶏肉も、魚の切り身も、そもそもそういうモノはない。発泡スチロールのトレーにのった商品からは、命ある姿をなかなか想像しないものだけれど、生かしてくれてありがとう、と一瞬でも思って食べるようにしよう。


    私と小鳥と鈴と

  私が両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のように、
  地面を速くははしれない。

  私がからだをゆすっても、
  きれいな音は出ないけど、
  あの鳴る鈴は私のように
  たくさんな唄はしらないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。


 桜梅桃李。それぞれちがいがあるから、それぞれに意味がでてくる。
 最近、あるイラストレーターの方の話を聞く機会があった。個性、個性というが、個性なんてものは誰にもあり、表現しようとすれば出てしまうもの。それよりも、なにをどう感じとるかの感性の方が大切だ。そう語られていた。

ごめんなさい。

fix9nr1s.JPG彼が、土をほじくりかえしてしまいました。
ねぎは全滅。

はつかだいこんはやけに育つのが遅い。
もっと間引かなくてはいけなかったらしい。どうもかわいそうなような、もったいないような気がして、密集させすぎたみたいだ。

これはなんてキャラだったか。

v1nqesd7.JPG こどもの頃に愛用してたカップが出てきた。
 すっかり記憶のかなたにあったのに、これを使っていた日々が新たなことになった。

 いま、もうひとつ思い出した。
 それはトラの絵が描かれたバスタオル。

 なぜだったかお気に入りで、ずいぶん長いことそのバスタオルを使っていた。

 風呂から出ると、行儀のわるいことにソファの上にバスタオルを広げ、そこに寝っ転がる。

 ある日、気がつくとバスタオルから脚がはみ出ていた。自分が大きくなっていることがはっきりとわかった。

 なぜかトラ好きだった。友達に「ライオンはひゃくじゅうの王なんだよ。」と言われると、「じゃあトラはひゃくじゅういちの王だもん。」と心の中で思った。かんちがいしていた。

 カップは見つかったが、あのバスタオルはもうない。あの頃のこどもの自分は、今の自分とまるで別人のようにも思えるが、どんなところでつながっているのだろう。

ONWAR




A campaign linking up multiple Web sites

ONWAR

複数ウェブサイトの連動プロジェクト
戦       争       に
つ       い       て
考       え       る

しゃべりのスピードが気持ちを追い越すと…

 今日、テレビでK-1ワールドMAXを見ていると、曙がゲストとしてリングに上がった。大晦日に初参戦するにあたっての抱負などを尋ねられていた。

 他の格闘技の選手たちはパフォーマンスも激しく、「腕の骨を折ってやる」とか「オレの方が強いことを証明してやる」等々、あくまで強気な発言である。

 そんななかでも、相撲界で生きてきた人間らしくとても謙虚な曙太郎だった。

 「K-1は初めての経験なので一生懸命勉強します。」、「サップさんと試合ができるのは光栄です。」と、あの大きな体をタキシードで包み、汗をかきかき慎み深く話す様にとても好感をもった。

 スポーツ選手等へのインタビューを見ていていつも思うのだが、インタビュアーはいつもくどい。同じような内容の質問を繰り返すことが多い。今回も例によって、最後に応援している皆さんへ、と抱負を迫った。曙はそれに応える。

 「ミナサンノコタエキタエラレルヨウガンバリマス!」

 答え!鍛え!期待?たしかに似たような言葉だが、聞き逃しはしなかったぞ。

 常套句ともいえる慣れ親しんだ言葉が、「日本語」として、自分の外のモノとして新鮮に認識させられた。

 ときどきそういうことがある。
 書き慣れて、見慣れている文字。ふだんはなんの疑問も生まれはしない。それを、何度も何度も書いてみる。もしくは、じぃっと見つめてみる。
 すると突然どうしようもない違和感が生じることがある。

 えっ、この字ってこんなだったっけ?こんなへんてこな組み合わせだっけ?おかしい…間違ってるんじゃないの?
 急に自信がなくなってしまう。
 でもその字はそのとおりなのだ。

 普段、気にとめることなく日常的に接しているものを、いきなり意識の中心にもって来ると、違和感や新鮮味、滑稽さや疑問など、自分の中で様々な反応があっておもしろい。


 以前ある人から聞いた話。
 その人の故郷で町主催の祭りが開催されていた。町おこしをみんなの力で盛りあげていこう!と、祭典はクライマックスを迎えていた。
 最後に町長さんが登壇した。

 「○○町の住民のみなさま!今日はこの様にたくさんの方にお集まり頂き、本当にありがとうございました!わたくしは、この、○○町の大いなる発展を、うたがってしんじません!以上!」
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